~お客さまと共にある私の、マイストーリー~
2017年5月にサロンをOPENしてからはや数年。私は今、「自分の人生を生きられている」実感があります。
なぜなら、勉強してきた(やりたい)ことを思う存分 、出し惜しみなく、施術を通してお伝えできているから!
途中でOLや 英会話講師をしたり、諦めて生きていたこともあったけど、
今では大好きなセラピストとして、夢に描いていたプライベートサロンで働いています。
本日は今に至るまでをマイストーリーとしてまとめましたので、最後までお付き合い頂ければ 嬉しいです(^^)
【幼少時代 ~サービス精神と粘り強さのルーツ~ 】
茶道の千家出入りの職人の家に生まれた母と施術家でないのになぜか毎日のように
家族のマッサージをしてくれるサービス精神旺盛な父のもとで産まれました。
今思うと、私のおもてなしの心の基本はたぶん、私の茶道の家に生まれた縁 から流れてきているのかも…(^^)
どちらかというと控えめで大人しかった私。マラソン大会の時も、スタートのポジション取り で前例に並ぶのが
出しゃばっているようで恥ずかしく、いつも 行列の後ろからスタート。。
と、思いきや「よーいドン!」とピストルが鳴った瞬間忍者のようにサカサカ と足音を立てずに行列の前に抜け出して、 気が付くと学年トップを争っていました。
(小学校~高校時代まで毎年のように。。 )
後に私のジワリと追い上げるこの走りは
周囲から「忍者走り」と呼ばれるように(笑)
また、子どもの頃に習っていた書道は
じっとしてられない子たち を横目に
もの凄い集中力を発揮し百枚単位の半紙がすぐになくなる程にたくさんの字を書いていました。
芸術のセンスがあるというワケではなく
ただ他の子より書きまくって、経験値が多かっただけなのかもしれません。
それでも、書道協会の段位がみるみると上がり気が付くと、さまざまな書道大会で何度も表彰されていました。
今の仕事で 3時間とか4時間とか普通に施術している私の集中力と体力はこのマラソンと書道で養われたのかもしれません(^^)
【学生時代・アメリカへの留学 ~社交性とホスピタリティの芽生え~ 】
私の家族はよくヨーロッパやアメリカからの留学生を年単位で受け入れていたため、
私の思春期時代はこの留学生達と同じ屋根の下で暮らしていました。
そして私が高校三年生のとき、特に行きたかったわけでもなく周囲の人達に推され断るスキもないまま、アメリカへ1年間ほど 留学することに。
アメリカに向けての日本出国、初日。
空港の荷物レーンにパスポートを忘れてしまった私。青ざめる両親の横で 、あっけらかんと単身、アメリカのワシントンD.C.へ飛び立ちました。
アメリカに着いてからは、あまりにガラッとした環境の変化に最初は縮こまっていた私。
日本人は一人もいない。
知り合いもだれ もいない環境の中で不安を感じながらも、
明るくフレンドリーなアメリカ人のお陰で私の心は少しずつ溶けていきました。
アメリカ人はアピール上手。
・自分が何者なのか。
・どんな考え方をしているのか
それを、お互いを開示して理解して、深めていくというのでしょうか。
その刺激を受けてから は、イベントでこんなことをする勇気が出ました。
小さい頃から習っていたピアノや、巻き寿司の披露。
イベントで浴衣を着てジャニーズの歌を大勢の前で歌ってみたり…
日本ではできない事を好き勝手に思いきりしてみました^^
イベント翌日。
なぜ かやたら受けて次の日からは、学校でいきなり人気者に(笑)
この自由の国アメリカで何事にも失敗を恐れず挑戦することの大切さを学びました。
その後、大学生になって田舎から東京に出てきて初めての 一人暮らしをしました。
友達と旅行に行ったり、遊びほうけ。
散らかす私の部屋を時々母が掃除に来たりしながら、あっという間に私の平穏な大学生時代は過ぎ去っていきました。